帰らぬ時 〜銃声〜
ラルゴの仕事は、戦争の影響で街に蔓延るようになった奴隷商人を狩ることだった。
『狩る』と言っても、殺すことはしない。商品となる女性や子供を逃がしたり、商人の金品を奪ったりして、奴隷の取引が出来ないようにしてしまうのだ。
メレキはそんなラルゴの仕事――別に誰から頼まれているわけでもなく、彼が勝手に仕事にしているだけなのだが――を、好ましいものだとは思っていなかった。
しかし、それはラルゴがメレキと出会う前からずっと続けていることで、しかも商人から盗んだ金品でメレキたちが生計を立てているとなれば、容易にやめられることではなかった。
それでも、ラルゴを止めることが出来れば。
もしくは、メレキがラルゴを手伝うことが出来れば。
――ラルゴは命を落とさずに済んだのかもしれない。
でも、それは叶わなかった。ラルゴは何を言っても決して仕事をやめなかったし、金髪のメレキでは夜闇の中で目立ってしまって、ラルゴを手伝うことは出来なかったから。
ラルゴの最後の仕事の日には、雨が降っていた。強くはなく、どちらかと言えば穏やかな雨。今思えば、あれは涙雨だったのかもしれない。
その頃メレキはもう、夜中に泣き出すことも随分少なくなって、ラルゴの帰りを待って起きていることが出来るようになっていた。
ラルゴはいつも、日付が変わる前には帰ってくる。だからその日も、ラルゴの帰りに間に合うように、メレキは夜食を作っていた。
…しかし、日付が変わってもラルゴは帰って来なかった。
最初は雨の所為でいつもより作業が遅れているのではないかと、そう思った。とりあえず、十五分待つことにした。
その十五分が何事もなく過ぎてしまうと、だんだんと焦りが生まれてきた。それでも根気強く、メレキはもう十五分だけ待つことにした。
…だが、ラルゴが帰ってくる気配はなかった。
日付が変わって三十分が過ぎると、メレキはさすがに心配になって外に飛び出した。
――立て続けに何度も、雨音を裂くように銃声が響いた。
反射的に、音のした方を向く。冷や汗が吹き出した。
メレキは知っていたのだ。ラルゴは助けた人々に感謝される分だけ、奴隷商人に恨まれていることを。
ラルゴは時々そんな商人たちに襲われて、怪我を負って帰ってくることがある。それこそが、メレキが彼の仕事を好まない一番の理由だった。
メレキは全力で駆け出す。最悪の事態が、頭を過ぎった。
「ラルゴ!」
ちかちかと点滅する古い街灯の下に、メレキは蹲るラルゴと、彼を取り囲む男たちを見つけた。
全部で六人。奴隷商人はいつも、こんなに大勢で行動しないはずだ。商品となる奴隷も見当たらない。……最初からラルゴだけを狙っていたのだろうか。
「何だ? コイツの妹か?」
男の一人がメレキを一瞥し、嘲笑した。
「害虫退治に成功するわ、良さそうな商品が自分からやってくるわ、今日は最高についている。なぁ?」
男がラルゴの頭を掴み、地面に叩き付ける。ひやりとした。ラルゴは抵抗することもなく、四肢を投げ出して転がる。
間違いなかった――ラルゴは撃たれている。
まだ生きてはいるが、相当弱っている。メレキは声一つ出せず、立ち竦んだ。おぞましい光景に、足が震えた。
「じゃ、ありがたく頂戴しようか。高値で売れてくれよ」
メレキはラルゴに気を取られていて、気が付かなかった。後ろに奴隷商人の一人が回り、メレキに殴りかかろうとしていたことに。
「やめろ…ッ! メレキに手ェ出すんじゃねぇッ!!」
ラルゴの叫びに、ハッと息を呑む。振り返ろうとしたその瞬間、メレキの意識はぷつりと途絶えた。
――それから、どれくらい経ったのだろう。
気が付いて身を起こしたとき、奴隷商人たちはメレキの周りに倒れ伏していた。何があったのか分からない。
しかし、あまり考えている余裕もなかった。男たちとは離れた場所で、苦しそうな息を繰り返しながら仰向けに横たわるラルゴを見つけたのだ。
メレキは痛がったり、苦しがったりするラルゴの姿を見たことがなかった。
腕の骨を折ったって、笑っていられるくらいの男なのだ。だから、今のラルゴの怪我の程度を予測して青ざめた。
「ラルゴ! ラルゴっ!」
彼の側に膝を折ったとき、どきりとした。雨に混ざった、生々しい血の臭い――想像以上だ。
街灯の下で、メレキはラルゴの胸や腹部が真っ赤に染まっているのを確認した。血を吐いた跡もある。
「メレキ……」
苦しげに歪んだ顔で無理に笑顔を作りながら、ラルゴがメレキを見つめた。
「いつもなら、逃げ切るんだけどな……。今日は、駄目だった」
自分を嘲るように、悪戯っぽくラルゴは笑う。微かな呼吸音が聞こえるだけの弱々しい笑い声に、メレキは胸をぎゅっと締め付けられる思いがした。
「痛みなら、どうってことない…。でも、血が、だいぶ流れちまって……。失血って、辛いのな……」
「助けるから! 人を呼んでくるから!」
メレキは立ち上がる。するとラルゴは、ゆっくりと首を横に振ってみせた。
「人なんか、呼びに行くな…。そんな時間が、あるなら……この街を、出ろ…」
驚いて、メレキはラルゴの顔を見る。
「どうしてそんなこと言うのッ!?」
「メレキ…」
だんだんと小さくなるラルゴの声を聞く度、メレキの頬を涙が伝った。
進めかけた足を戻し、またラルゴのすぐ近くに屈み込む。そうしないともう、彼の声は聞き取れなかったのだ。
「一人、逃げたんだ……」
ラルゴが何を言っているのか、すぐには分からなかった。だが、はっと気が付いて、後ろを振り返る。
倒れている奴隷商人は五人。一人いなかった。
「仲間を連れて、復讐に、来る…だろう、な…。メレキも、きっと…ただじゃ、済まされな……」
「構わないよ! 少しでもラルゴが助かる可能性があるなら、私は人を呼びに行く!」
メレキは叫んだ。だが、ラルゴは小さく首を横に振るばかりだ。弱く、笑ったまま。
「手、出せ……メレキ…」
「ラルゴ…」
メレキは悟った。ラルゴはもう、自分の死を受け入れてしまっているのだと。何を言おうと、メレキに人を呼びに行かせる気はないのだと。
――もう、助かることはないのだと。
メレキは口を真一文字に結び、ラルゴの方に手を差し出した。彼の手が、力無くメレキの掌に重なる。
そこには、紫色のイヤリングが乗せられていた。
「ジジィの、形見…。メレキを守る、お守り、だから…。それ持って、もう……行け」
「……うん…ッ」
ラルゴに分かるように、はっきりと頷いた。ラルゴは安心したように微笑み、ゆっくりと長い息を吐く。呼吸が止まりかけているのが分かった。
メレキは血に汚れたラルゴの頬に、そっと自分の唇を触れさせる。ラルゴはもう、ほとんどメレキの声を聞き取れないはずだ。
だからそれは、メレキなりの別れの挨拶のつもりだった。メレキの涙が、雨と混ざって彼の頬を滑った。
「また…な…。メレ、キ……」
来世でまた会おうと、そういう意味なのだろう。メレキが頷くと、ラルゴは口許の笑みを静かに消して、眠るように目を閉じた。
――それは、全てが壊れた瞬間。
彼の死を見届け、何も言わずにメレキは立ち上がる。
そして、振り返らずに駆け出した。
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