残酷な運命 〜哀しみの矛先〜


 小さな一軒家の台所で、少年は年老いた男の前に立っていた。 会うのは初めてだったが、少年は前からその老人の存在を知っていた。 何故ならその老人は、少年が憎むある人物にとって大切な人だったからだ。
「貴方は直系の魔女なんですよね」
「ああ」
 少年の立場を知っているはずなのに、老人は全く怖じ気づいた様子を見せず、ただの『少年』と話をするように軽く頷く。 その態度に、少年は苛立いらだちを覚えずにはいられなかった。
「どうしてこんな所にいるんですか? 十三歳以上の直系の魔女は戦場に赴くようにと、そう命令を下したはずです。 老人であっても例外ではない」
「戦争には関わりたくない。それに、息子と約束しているんでね。
理想郷シャングリ・ラ ――傷ついた民が安らげる場所を、息子と私の魔力で創り上げると」
「息子…。血の繋がりもないくせに、貴方はどうして彼奴あいつをそんなふうに呼ぶ!」
 滲み出た怒りとそれ以上の悔しさが、少年の胸を覆い尽くす。
 何故自分が苦しんでいる間、あの男は悠々と過ごしているのだ。 本当は自分ではなく、彼奴がこの苦しみを背負うはずなのに。
 少年は深く息を吐き、高ぶった感情を鎮めて、老人に向き直った。
「とにかく、命令に背いた貴方を生かしておくことは出来ないんです。戦場で散るつもりがないのなら……これまでです」
 少年は、老人に刃物を向ける。何処の家庭にでもあるただの包丁だ。 しかし使い方を誤れば、これは人の命を奪う凶器と化す。老人はその切っ先を、睨むように見つめていた。
 この老人ほどの魔女ならば、少年を瞬時に殺すことは容易たやすい。 だが、包丁の前に動かないところを見ると、この点では老人は少年の身分をわきまえているらしい。 自分が少年に手を出せばどうなるか、ちゃんと理解しているのだ。
「時間がありません。貴方に、今からでも戦場に向かうつもりはありますか?」
「いや。だが私を殺しても何も変わらないさ。私には息子がいる」
「また彼奴のことですか」
「いや、アイツじゃない。本当の、実の息子さ。ハーフの魔女だが私と同じ魔力を持つ」
「それならば問題ありません。この国の直系の魔女の人口は、徐々に不足してきています。 ですから、次に戦場に赴くのはハーフの魔女たちです。 そろそろ徴兵令を出そうと思っています。もしも従わないというのなら、貴方の息子も私がこの手で処分しましょう」
「…可愛げのないガキだ。さすが、アイツと血を分ける兄弟――」
「口を慎んでください」
 少年は老人の首筋に包丁をあてる。
「もう、貴方と話をするつもりはありません」
「私を殺しても、何も変わらない」
「まだ言うのですか」
「息子が駄目だとしても、孫がいる」
四分の一クォーターの魔女だって同じことです。 ハーフの魔女が減れば、次に兵士になるのは」
「四人、いるんだ。最後に会ったのは赤ん坊の時だったが、一番下は娘で、今年で十一歳になる。 クォーターで、女で、しかもまだ幼いとなれば、アンタも好んで兵士にしたりはしないだろう」
 少年はキッと目つきを鋭くする。確かに老人の言う通りだ。クォーターの魔女というのは、そもそも魔力をなくしてしまっている場合が多い。 それで幼い少女ともなれば、戦場で足手まといにしかならないのは目に見えていた。
「しかし、そんなクォーターの魔女に、貴方たちが創ろうとしている理想郷を完成させることが出来ますか?  魔力はないに等しいのでしょう? 仮にあったとしたって、都合良く貴方の魔力を継いでいるとは限らない。 それに、貴方はここで死ぬ。貴方の死を孫まで伝えるのは誰ですか?」
「私は、信じるよ」
「…くだらない」
 少年は言い捨てると、包丁を滑らせて老人の頸動脈を裂く。躊躇いはなかった。 人に直接手を下すのは初めてだが、少年は一言で幾つもの命を奪えてしまうほどの、絶対的な権力を持っているのだから。
 倒れた老人を冷たく見下ろし、少年は老人が最期の言葉を呟くのを聞く。
 それは、アクシャムではありきたりな、女性の名前だった。


目次に戻る